脳科学的学習

山根雑記

 

1.   人の脳の素晴らしさ。

「あいまいさ」こそ、人の脳の素晴らしさだ。

人の持ちきれない膨大な量のデータから緻密検索を行うコンピュータはすばらしいが、人のように概念でのあいまい検索は出来ない。

地球70億人の顔を見て「たった一人の大切な人」を探す能力も、人の脳が上だろう。

 

2.   概念

「あいまいさ」は、普段良い意味に使われることが少ない。しかし地球一つをとっても、ある時には完全な球だと考え、ある時には標高8000mの山々のでこぼこも考えたことで科学も進歩した。コンピュータは未だ「なんと頭の固いやつ」ということにもなる。

 

3.論理

 人の中の基礎論理とは即ち概念の積み重ねの事であろう。勿論言語を持ったことで人は更に高次の思考を行い、他人とのコミュニケーションが行えるようになったのだが、「何となく納得のいかない瞬間」を持つのは概念が言語化できないものであるからだろう。

 

4遊び

緻密さ、厳密さは大切なものであるが、ものには「遊び」も必要でもある。

車を運転で「「ハンドルの遊び」という言葉が使われるが、この遊びがなくては方も凝ろうし、安全運転も出来ない。人生もそうだ。

少し飛ぶが、子育てもそうだ。「学習と遊びは一つのもの」との考え方が必要だ。小児にとって遊びは学習であり、遊びは学習なのだ。考えるべきはその質にある。

 

5.おもちゃの質

 一言で言うと、おもちゃはよりシンプルなものが良い。例えば与えられた遊び方しか遊べないおもちゃは良くない。と言うよりは「与えられたおもちゃで、与えられた遊びしか出来ない事」が問題だと言う事だ。

 「おもちゃの質」と話し始めてしまったが、要するに小児にとって遊べるものは全ておもちゃなのだ。

 

6生理学的に見る.知能

 知能についての定義は難しいが、知能とは生理学には記憶の事である。勿論これは「丸暗記」の類を意味するものではない。知能の因子を「記憶」と「思考」に分けて考えると、思考とは記憶に基づいて行われる応用作業の事だ。

 

7.記憶の大別

 記憶の分類の一つとして、「抽象記憶」と「具象記憶」の2分の法がある。抽象記憶とは具体的な数値の記入されていない公式のようなもので、物事の関係を表す。関係式のようなもので言語で表すことの困難な概念の事だ。

 

8.人との間合い

 武道では重要な間合いだが、人間社会でも非常に重要な事だ。「空気読めない」も結局はこの事だ。

 日本には「手切り」の習慣がある。人ごみを分け通る時に「ごめんなさい」「ごめんなさい」と左右に手刀を振り、「これ以上あなたの領域を侵しません」と意思表示するものだ。

 本能的な安全スペースがあるのだが、それは様々だ。

「鮎の共釣り」と言う釣り方があるが、針の付いた囮を送り込み、安全スペースを守ろうと撃退する鮎を引っ掛ける釣りだ。

そこに不思議な現象がある。川に1匹あたりの安全スペースを確保できないほどの多量な鮎を放流すると鮎はテリトリーを守ろうとしなくなる。

「あきらめちゃった」である。

蛇足ついでに。最近少なくなった夜行列車での旅で、向かい合わせの席に誰かが乗り合わせた時に、人は「自分に危害を与える人間ではないか?」と観察する。相手もそうだろう。そして話しかけて見たくも思ったりする。これは本能だ。でもほぼ30秒以内に話しかけなければ、その後ずーっとそのままで終わる。これは実験的な話だ。

これは小児教育についても言える。30秒以内にすーっと「危険のない人です」と小児の間合いに入らなければ、その後がうまくいかない。非常に難しい事でもあるが重要だ。

これは技術と呼んでいいのかどうかは疑問であるが。

 

9.中断課題解説法

 水戸黄門のように1話完結の「ああ、すっきり」型と毎週連続型のドラマがあるが、子供たちが自分の学習方法を確立するまでは、中断課題解説法を用いた連続ドラマ型が効果的だ。子供のモチベーション維持に繋がる。話を盛り上げて、盛り上げて、そこで「すぱっ」と切ってしまい、次回授業までに「次はどうなるの?」と考えさせるのである。

 

10.「たとえ話」

 自分の主張を他人に伝える時には、言語への変換が必要だが、概念となるとかなり困難だ。その時に活躍するのが「たとえ話」だ。私も多用する。アインシュタインの論理実験も「もし、・・」とたとえ話が分かりやすい。

「提灯と釣鐘」と言えば多分概念が伝わる。「もしあなたが・・」の話もそうだ。算数で「金魚が3匹、そこに5匹入れると・」の問題も、当然金魚の数を覚えるためのものではなくて、足すと言う概念を育てるためのたとえ話だ。上手な適切なたとえ話が伝える側には必要だと言う事だ。と言いながらここでもたとえ話をしているが。

 

11.仮定法

 「もしこうなら・こうなるはずだ・」と考えるのが近代科学的アプローチの第一歩だ。次に安全かつ合理的な実験でその仮説を証明する。日常生活でも重要な考えかただ。この仮定をして自分の行動を判断するという能力が欠落する事で危険回避が出来る。

 

12.5割を目指す目標設定

 試験の作成者は、その及第点をおおよそ6割と意識して製作する。これを考えて受験者は「もしもを考えて78割を」と目標設定する事が多いようだ。

 でも、指導経験から言うと、最初から高めに目標を設定するよりも、最初は5割程度に目標を設定するのがいいようだ。(特別な人を除いて)

 10割の目標を掲げて、2ヶ月で煮詰まって完成度2割で挫折などと言う学習者をよく見かけるからだ。それなら最初から2ヶ月で5割を目指すのがいい。

 気楽さやモチベーションの関係でもある。

 ストラックアウトという、正方形のプレートが3×39つの小正方形に分けられている的にボールを投げ当てるゲームがある。小正方形には上の列に1.2.32段目に4.5.63段目に7.8.9と数字が振ってあり、ビンゴのように縦か横か斜めに1列を完成すると出来上がりだ。例えば1球目が真ん中の5にあたり、2球目は1に当たったとしよう。「リーチ」だ。

 解説者は「あと一つ。9にあたれば」と、2/3終わったのだから「残り1/3」のように言うが、どうだろう?

この場合最初の的の大きさを1とすると、2度目は8/9で、3度目は①・9と言う事になる。3度目は最初の9倍難しくなる。

学習もこれに似ている。

0点取るのと90点取るのでは9倍の努力が必要な事になる。

(厳密には違うが)

 

13.本の考え方

 「本を大切にする」のはよい事です。本がなかったら全ての学問が、どれも今のレベルに達してはいません。本があることで、先人の考えた事を知り、その続きを考えると言う風に、学問は積みあがってきたのですから。

そんな大切な本を「汚せ」とは言いません。でも読書は本との会話です。受動的姿勢一辺倒にせずに、鉛筆を持って、自分の言いたい事を書き込んで自分だけの本を作ると言うのは、本本来の目的には合致します。

本と会話しながら能動的に能力を高められるからです。ノートを使用して同じ事が出来ないかとも考えて実験もやりましたが、「こんな事が書いてあったところに、こんな風に書き込んだ」と言う記憶が学習効果を何倍にも高めています。

物を大切にすると言う気持ちは大切ですが、物を最大限に役立てると言う姿勢も大切です。「本は本棚に飾るものではなくて、自分の脳の中に残すものなのです」・・ちょっと偉そうにですが。

 

14.自分との会話

 思考の多くは自分の脳との会話だと話しましたが、ここでは時差のある自分との会話について話します。

例えば「1週間先の自分へのノート」です。これは自己の「思考整理」と「学習記憶確認」が目的ですが、1週間と言った期間については個人差があります。個々の中期記憶滞留時間によって異なるのです。

このノートには1週間後に覚えていて欲しい学習事項を、「自分が自分出すテスト」とするのと、1週間後の自分への問いかけを書いておきます。そして1週間後の自分がこれに答えます。

1週間の自分の変化が分かるのも面白い。

 

15.辞書遊び

 これは「本との会話」に近い遊びであり、学習であると考えてください。

インターネットは調べ物をするには便利だが、自分の辞書を手短に持って自分で書きこみをする事には別の効果がある。記憶の定着の度合いがまず違う。

また辞書は一冊あればいろんな遊びが出来る。

 

16.脳はおだてて使え

 脳に限らず体の部品が全てそうだと言えるのが、「役に立っているよ」とつかってやらなければ、廃用萎縮で使い物にならなくなってしまう。逆におだてて使えば老化はあっても代替や再生の形で役に立ってくれる。

 

17.教わろう、覚えようだけでは不十分

 脳のニューロン、シナップスの回路の育て方で「楽しんで考える」ということが大きなポイントとなる。教わろう、覚えようだけでは不十分なのだ。